MT活用に関する誤解?
「AI翻訳革命 ―あなたの仕事に英語学習はもういらない」という本が売れているそうです。MTはそんなところにまで進化したのでしょうか。これまで続けてきたこのMTコラムで、いわゆるAI翻訳を使いながらも、いろいろな問題に遭遇してきました。そういった現状の中で、はたして、そこまで言い切ってもいいのだろうかというのが、私の率直な感想です。こういった考えが成される背景には、ひょっとしたらとんでもない誤解が潜んでいるのかもしれません。
それにしても、「あなたの仕事に英語学習はもういらない」なんて、すごく刺激的なキャッチコピーですね。もちろん、この本はMTの開発ベンダーの人が書いたものですので、商売柄、その品質をオーバーに表現したくなるのも無理はありません。しかしながら、こういった意見に、英語教育系の人がもろ手を挙げて賛成するのは危険な話です。実は、先日、ある論文集を見ていたら、その英語教育系の方が「義務教育における英語科は不要である」と述べておられるのを見つけました。この方が「義務教育で英語は不要」という意味で言っておられるのであるとすれば、それは大きな問題です。もちろん、現在の英語教育がこのままでよくないのはわかっていますが、それは別問題です(既存の文法英語から使える英語に変えていくために、何らかの手法で、英語教育を抜本から改革する必要があります)。
3つの問い – 本当に不要なのだろうか
「義務教育で英語は不要」という意見の方々は、基本的な以下の問いにどのように答えられるのでしょうか。
・MTを使いこなすには一定の英語力が必要ではないか
・幕末以降の先人たちのデータ遺産を食いつぶしていくことになるのではないか
・海外における日本のプレゼンスの低下を招くのではないか—最後は国力の低下につながる
この3つの問いについて、以下にそれぞれ検討していくことにします。
1. MTを使いこなすには一定の英語力が必要ではないか
「英語学習」が不要と聞いて、この言葉に漠然とした期待感を抱いたあなたにこそ、「英語学習」は必要です。将来、MTの品質向上でいろいろな言語障壁を越えることができるようになると私も思いますが、それと同時に、MTのとんでもない誤訳によって、ある時大きなトラブルに巻き込まれてしまうおそれも出てきます。実際にMTを使いこなしていくためには、以下の能力が必要です。
・MT翻訳の内容が適切かどうかを判断できる
(必要に応じて、日本文などの)原文を書き換えてMTが適切に翻訳できるようにする
MT翻訳の出力結果を盲目的に信じることは重大ミスにつながるおそれがあります。ある時、大恥をかくことになります。大恥をかくだけならよいのですが、その誤訳は、あなたに、またはあなたの組織に大きな損害をもたらすことになるかもしれません。MT翻訳の内容が適切かどうかを判断する力が必要です。「英語学習は不要」あるいは「義務教育で英語は不要」という意見の方々は、この点をどうお考えなのでしょうか。
MTベンダーの方の中には、「もう翻訳する原文の品質になんかこだわる必要はない」などとうそぶく方もいらっしゃいますが、これは真実を語っていません。このコラムで示してきたように、日本語原文の曖昧な書き方でMTが何度も翻訳に失敗してきたではありませんか。それに、MTベンダーの方々も、MT翻訳の工程のプリエディットとポストエディットのステップで正規化辞書を工夫してお使いになっているではありませんか。いずれにしても、MT翻訳の特性を意識して、(わたしがこのコラムで指摘してきたように)原文を適切に翻訳できるように書き換える力が必要です。
2. 幕末以降の先人たちのデータ遺産を食いつぶしていくことになるのではないか
これまで、それぞれの研究を展開していくために、日本が他のアジア諸国と異なっていた点は、英文などで書かれた書籍を幕末以降の先人たちが日本語化してデータとして残してきてくれたことにあります。日本人は、これまで先人たちがのこしてくれた日本文データに簡単にアクセスできます。それに対して、他のアジア諸国の人たちが同様の研究に必要な情報にアクセスするためには、まず英語を理解する必要がありました。英語を理解することで、やっと母国語では得られない英文データにアクセスすることができるわけです。
産業を含めた日本の現代社会は、先人たちがのこしてくれたデータ遺産を食いつぶしてきたのではないでしょうか。ところが、今や、そういった他のアジア諸国に対する優位性は失われつつあります。これからは、豊富で優れた英文データの山に挑んでいき、他国と競争していく必要があります。いやあ、それはそれで、優秀な研究者たちだけが英語力をつければいいのではないかとおっしゃるかもしれませんが、それは詭弁ですし、民主主義を冒涜するものです(日本全体が浮揚していくためにも機会均等であるべきです)。国際社会の中で日本人が他国の人たちから誤解されることなく活躍していくためには、義務教育という基礎教育で国民全体に英語力をつけていく必要があります。そして、その義務教育の中から未来の優秀な研究者が生まれてくるのです。また、先人たちがのこしてくれた日本語のデータ遺産に最新のデータを重ねていくことができるのです。
それができなければ、英語力の相対的な低下により、日本はガラパゴス化が進み、世界の趨勢から取り残されてしまうことになります。
3. 海外における日本のプレゼンスの低下を招くのではないか — 最後は国力の低下につながる
英語教育を軽視することは、海外における日本のプレゼンスの低下を招くことであり、最後は国力の低下につながっていきます。国際的に通用する人材を育成していくためには、まず、コミュニケーションのツールを、つまり、英語力を身につける必要があります。ほかの何語でもありません、英語、英語力です。その理由を以下に示します。
今や、英語は世界共通語=Lingua franca(リンガ フランカ)としての役割を担っています。W3Techs (2018) の調査によると、英語のサイトはインターネット上で大きなシェア (52.4 %)を占めています。また、現在、人々は電子メールやSNS(ソーシャル メディア)を介して英語を使用して、非英語圏の国の人々とコミュニケーションをとっています。つまり、英語は、英語圏の人々のコミュニケーションツールであるだけではなく、非英語圏の人々の重要なコミュニケーションツールになっているのです。単なる1か国の言語ではなく、世界をカバーする言語に成長しています。Controlled language (制限言語)の代表格であるASD-STE100シンプリファイド イングリッシュのルールセットは、英語圏からのダウンロード数が29%であるのに対して、非英語圏からのダウンロード数は71%に及んでいます(ASD-STE100, 2022)。これは言葉の異なる他国とのコミュニケーション手段を考えた場合、当然のことと言えます。
最近、中国や韓国の人が国際機関のトップに選出されているという例をよく見聞きします。特に中国の場合は、国策として国連関係の国際機関のポストを獲得しているそうです。たとえば、以下のポストなどです:
国際電気通信連合(ITU)事務総局長
国際民間航空機関(ICAO)事務局長
国連食糧農業機関(FAO)事務局長
国際刑事警察機構(INTERPOL)総裁
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO61293720Y0A700C2EA1000/
もちろん、日本も、外務省が国連関係の国際機関に日本人職員を送り込む努力をしているようです。その数は過去最多であり、1000人を目標にしているとのことです。しかしながら、その人材をどのようにして確保するかとなると、心細いものがあります。今から5年ほど前にドイツのカールスルーエ大学を訪れたことがありました。その際に大学事務局の方からお聞きしたのは、日本からの留学生数が非常に少ないこと、それに比べて中国や韓国からの留学生数が多いことでした。新聞などでも、海外に視点が行かない、内向き志向の学生が多くなったという話が載っていたりします。
2020年度の海外留学生数が最も多いのは中国であり、約100万人以上の留学生を国外に送り出しています。2位がインド、3位がベトナム、7位が韓国です。そして、日本はやっと38位に顔を出します。
https://www.globalnote.jp/post-12641.html
日本人の海外留学生数は、2004年の約1万9,000人から2017年の約6万6,000人と増えています。しかし、その内訳はというと、1か月未満の留学が最も多く(約59%)、1か月~6か月未満(約24%)、6か月~1年未満(14%)と留学期間が長くなるほど割合が減っていき、1年以上の留学が最も少なく(約1%)なっています。約1%というと、660人です。
https://education-career.jp/magazine/data-report/2019/number-study-abroad/
これらの数字が何を意味しているかというと、短期間の簡単な語学留学は増えているが、研究分野での留学生数は他国に大きく水をあけられているということです。上記の留学期間の比率が中国も日本と同じだとした場合、(調査年度の違いはありますが)中国からの1年以上の海外への留学生数を約1%とすると、1万人となります。日本からの研究分野での留学生数は、中国の1/10にも及びません。これでは、日本の将来はいったいどうなるのでしょうか。
まとめ
このような時代に、「あなたの仕事に英語学習はもういらない」などというのは、あまりにも世界の潮流を無視した無責任な発言ではないでしょうか。また、英語教育系の方が「義務教育で英語は不要」などと発言するのは、ものわかりのよい好々爺を演じたかったのかもしれませんが、論外です。
ところで、わたしは英語教育かそれともMT活用かという二者択一を迫っているわけではありません。誤解しないでくださいね。英語教育とMT活用はまったく別次元でのお話です。日本がこれから国際社会の中でどのように責任を果たしていくか、プレゼンスを示し続けられるか、そのためにどのようにして英語力をつけて、人材を確保していくかということは、将来の日本にとって重要な課題です。もちろん、MTという便利なツールをいかにして効果的に活用するかということはわたしにとっても重要なテーマではありますが、前者に比べればそこまでのものではありません。これは一般論として、当然のことです。これを前提として考えると、いくら自分に課せられた課題が自分にとって重要であるからといって、それを一般論として世の中に問うのはいかがなものでしょうか。
いずれにしても、英語教育とMT活用は、わたしにとって生涯の研究テーマです。😊
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