翻訳元である原文が適切に書かれていれば、当然、翻訳上のトラブルは少なくなります。「適切に書かれている」というのは、係り受けなどを含めて誰にとってもわかりやすく、誤解無く、翻訳しやすく書かれているということです。直近のMT品質チェックの中から、日本語原文の問題点を見ていきましょう。
主なトピック
・主語抜け
・目的語抜け
・適切な用語/表現の使い分け ― 誤訳されるおそれ
・係助詞の「は」を誤訳
・「ため」を誤訳
主語抜け
互いに知っている情報は言葉としては表現しないという日本文化では、つまりハイコンテキスト文化では、よく主語や目的語が省略されます。受け手側にも、コミュニケーションを成立させる責任があるというわけです。もちろん、そんな日本語では、やたら主語を入れ続けると、文としてぎこちなく感じられることもあります。しかし、人間の翻訳者ではなくMTを使用する場合は、そういうわけにはいきません。必要に応じて主語を入れないと、MTはたちまち適切に翻訳してくれなくなります。
原文:選定した受託バッグを適正にシールできる性能を有していることを確認する。
MT訳文:Confirm that the selected consignment bag has the ability to seal properly.
MT訳文を見ると、この“that”以下の文の目的語であるはずの受託バッグ(consignment bag)が主語として翻訳されていました。MTには、主語がどれかわかりません。ここは、適切な主語を補ってあげる必要があります。
修正原文:受託シーラーが、選定した受託バッグを適正にシールできる性能を有していることを確認する。
MT訳文:Ensure that the consignment sealer is capable of properly sealing the selected consignment bag.
目的語抜け
目的語を明示していなくても、文の流れから見れば問題なく理解できるだろうという考えは、MTには通用しません。目的語は、省略しないようにしましょう。
原文:受託方法別に適合する受託コンテナの種類が異なるため、取説に従って選択する。
MT訳文:Because the types of consignment containers that are suitable for each type of consignment are different, they should be selected according to the instruction manual.
この原文を読んでみて、なにかしっくりきません。よく読んでみると、「何を」が抜けています。早速、目的語を補ってみます。
修正原文:受託方法別に適合する受託コンテナの種類が異なるため、取説に従って適切なコンテナを選択する。
MT訳文:Since the type of consignment container suitable for each consignment method is different, select the appropriate container according to the instruction manual.
適切な用語/表現の使い分け ― 誤訳されるおそれ
ある特定の分野に馴染みのある表現を他分野で使用すると、MTに誤訳される恐れが出てきます。用語や表現に注意して、誤解を与えない特定の用語や表現か、または、一般的な用語や表現を使用するようにしましょう。以下の例文をご覧ください。この例では、MTの訳文と、今、話題のChatGPTの訳文をつけています。
原文:潤滑剤は、紛失や悪用されることがないよう日々の出納管理および、確実に処分するための手順を整備しておく必要がある。
MT訳文:There is a need to maintain a daily payment and payment management system and a reliable disposal procedure to ensure that the lubricant is not lost or misused.
ChatGPT訳文:It is necessary to establish procedures for daily accounting and reliable disposal to prevent loss or misuse of lubricants.
MT、ChatGPTともに、簿記でよく使われる「出納管理」という用語に引っ張られてしまって、「金銭の出納」という意味に翻訳されています。ここでは、そんな偏った表現ではなく、より一般的な「仕入れと在庫管理」としたほうが良さそうです。
修正原文:潤滑剤は、紛失や悪用されることがないよう日々の仕入れと在庫管理、そして、確実に処分するための手順を整備しておく必要がある。
MT訳文:It is necessary to have a daily stocking and inventory control and a procedure to ensure that the lubricant is disposed of so that it will not be lost or exploited.
ChatGPT訳文:Lubricants must be managed through daily procurement, inventory control, and established procedures for reliable disposal to prevent loss or misuse.
また、次の文の「払い出す」はどうでしょうか。
原文:特に、工程上避けられない状況を除き、インプラントを適用する工程について、CIを毎回使用し、陰性結果を確認後に払い出すべきである。
MT訳文:In particular, except for the inevitable situation in the process, CI should be used every time for the process of applying the implant and the negative result should be checked and it should be paid out.
「払い出す」という用語はIT系でも使用されていますが、どうしても簿記の用語としての理解が強いようです。この用語も、「出荷する」という一般的なものにしたほうがいいですね。
修正原文:特に、工程上避けられない状況を除き、インプラントを適用する工程について、CIを毎回使用し、陰性結果を確認後に出荷すべきである。
MT訳文:In particular, except for the inevitable situation in the process, CI should be used every time for the implant application process and shipped after the negative result is confirmed.
次の文は、「始業時に」としたので「学校」と誤解されてしまいました。これは、「作業開始時に」あたりがいいでしょう。
原文:始業時にダブルネガティブチェックを実施し、合格判定であること。
MT訳文:The double negative check shall be conducted at the beginning of the school year to determine the school’s success in the examination.
修正原文:作業開始時にダブルネガティブチェックを実施し、合格であることを確認します。
MT訳文:Double negative checks are performed at the beginning of the operation to ensure that they pass.
このように、日本語の表現には注意が必要です。自分ではそんなつもりはないのに、MTが勝手に誤訳してしまったというのでは言い訳にもなりません。
また、MTは、以下のようなことも、素知らぬ顔をしてやってしまいます。しかし、これもMTが悪いわけではありません。思わず、MTに同情したくなってしまいます。
原文:受託物は床、天井、外壁から十分離れた場所で保管する。
MT翻訳文:Storage consignment materials at a distance of 10 minutes from the floor, ceiling, and exterior walls.
MTに誤解されたくなければ、「十分」はひらがなで「じゅうぶん」と表記するようにしたほうがいいです。もっとも、MTでもどちらの意味かはある程度理解できますので、そこまで神経質にならなくてもいいのかもしれません。しかし、あるとき、突然、このように誤訳してしまうのですよね。何れにしても、注意が必要です。
係助詞の「は」を誤訳
海外の日本語学習者にとって、助詞の「は」の使用はなかなか難しいようです。と申しますのは、助詞の「は」には、係助詞の「は」と格助詞の「は」という区別があって、その違いがわかりにくいからです。わたしたち日本人は、この違いをほとんど意識しないままに助詞の「は」を適切に使い分けています。
助詞の「は」というと格助詞の「は」、つまり主語の後につける「は」だと思われるかもしれませんが、文法学者によっては「は」は係助詞/副助詞であると明言される方もいらっしゃいます。係助詞の「は」は、別名、「取り立て助詞」とも呼ばれます。なぜそう呼ばれるかというと、「主題+は」を文頭に置いて、「さあ、今から○○のことについてお話しします」とこれから話すこと(つまり、主題)を「示す」からです。この「取り立て助詞」の有名な例文が「ぞうは鼻が長い」です。この文をMeCabという日本語形態素解析システムにかけると以下のようになります。
最初の助詞の「は」は係助詞であり、その次の助詞の「が」が格助詞です。したがって、この文の主語は「鼻」であり、その前の係助詞の「は」は、話の主題が「ぞう」であることを示します。
そこで、次の例文を見てみましょう。ここでも、MT訳文とChatGPT訳文を挙げてみました。
原文:受託シーラーは日常管理項目・確認頻度の情報をメーカから入手し、管理を実施し、記録する。
MT訳文:The consignment sealer obtains information on daily management items and confirmation frequency from the manufacturer, and carries out and records management.
ChatGPT訳文:Obtain information on the daily management items and confirmation frequency of the entrusted sealer from the manufacturer, and carry out and record the management.
原文の「受託シーラーは」の「は」はこの項の最初に説明した係助詞です。つまり、「受託シーラーについては」という意味であり、そして、「入手し」、「実施し、記録する」のは読者(ユーザー)です。
MT訳文では、「受託シーラーは」の「は」は格助詞として解釈しています。ということで、残念ながらMTは誤訳をしています。しかし、ChatGPTは、(日本語のデータベースはそこまで多くないだろうと推測される中ででも)見事にこのひっかけ問題をクリアしています。もっとも、最近のMT翻訳では、この格助詞の問題にもじゅうぶん対応できるようになっています。今回の失敗は、ご愛嬌ということでご勘弁ください。
「ため」を誤訳
「ため」には、「~するために」という「目的」の意味と、「~するので」という「理由」の意味があります。以下の例文をご覧ください。
原文:定量法で用いる抽出液に濁りがある場合は、フラボノイドの測定結果に影響を与えるため0.3µm孔径のシリンジフィルタを使用して濾過する。
MT訳文:When there is turbidity in the extract used in the quantitative method, filtration is performed using a syringe filter with 0.3 µm pore diameter to affect the flavonoid measurement result.
MT翻訳は、「ため」を「目的」として翻訳していますが、この「ため」は「理由」をしています。そこで、MTに誤解を与えない「ので」という理由の表現を使用します。
修正原文:定量法で用いる抽出液に濁りがある場合は、蛋白質の測定結果に影響を与えるので0.3µm孔径のシリンジフィルタを使用して濾過する。
MT翻訳文:When there is turbidity in the extract used in the quantitative method, filtration is performed using a syringe filter with 0.3 µm pore diameter since it affects the flavonoid measurement result.
このように、MTを使用するときは、日本語のわかりやすさ、翻訳しやすさに注意する必要があります。
この件について、ちょっとしたエピソードがありました。今から5~6年前のことです。MTを活用するためには原文の品質を向上させる必要があると説いていた私に対して、あるMTの専門家の先生が、「中村さん、MTは性能が向上したので、今後は原文の品質にはこだわらなくてよくなったのですよ」と、にこにこ顔でおっしゃいました。しかし、それから5~6年が経過した現在でも、このように原文の品質はMT翻訳の結果に大きく影響し続けています。しかしながら、その先生は、今でもご自身の考えが正しいと思われていることでしょう。
翻訳元である原文が適切に書かれていれば、翻訳の問題は少なくなります。「適切に書かれている」というのは、係り受けなどを含めてだれにとってもわかりやすく、誤解無く、翻訳しやすく書かれているということです。ここのところは、以前、わたしが、TC協会発行の「日本語スタイルガイド(第3版)」の第5章「翻訳しやすい日本語の要点」でまとめていますので、詳細につきましてはその書籍をご参照ください。
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続:MT翻訳を外部文書に使用するときのご注意 (第2回)
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