なぜ既存の表記に従わないのか
「情報」は、読者がその「情報」を受けて、そして理解して、初めて「情報」になります。もし、読者がその「情報」を理解できない場合は、その「情報」は意味のない文字列または紙くずでしかありません。したがいまして、「情報」を発信する側は、このことをしっかりと意識して、「情報」を発信する必要があります。もちろん、読者側も、「情報」を理解するという責任がありますが、「情報」が読者に適切に扱われるためには、発信者側は、「情報」に少しの曇りもないように伝えるべきです。「情報」を受け取る人たちが、迷いなく理解できるように伝えるべきです。
「バ」と「ヴァ」、どちらを使用するか
あるサイトで、以下のような表記を見つけました。皆さまはどう思われますか?
- ユニヴァーサルデザイン
- サーヴィスの紹介
- イヴェントの情報
- XXXX アウォード
このように一般的でない表記をすることによって、「情報」に不要な曖昧性を付加することになります。これらは、いずれも、一般的な表記が定着している用語です。それをなぜこのように異表記を使用されるのでしょうか。
私には、ずっと以前から気になってきたことがあります。それはモノのユーザビリティーとそのモノを言い表す表現についてのユーザビリティーの差です。このサイトのようにモノのユーザビリティーを考えるのであれば、まず、モノやコトを表す表現のユーザビリティーについても気配りをしたほうが良いのではないでしょうか。書くときは、だれにでもわかりやすい表記を心がけるべきです。一般的ではない表記を見て、一般ユーザーは戸惑ってしまうことがあります。したがって、上記のカタカナ語表記は、以下のように「記者ハンドブック」や「日本語スタイルガイド」などに掲載されている、一般的な表記に統一すべきです。
- ユニヴァーサルデザイン → ユニバーサルデザイン
- サーヴィスの紹介 → サービスの紹介
- イヴェントの情報 → イベントの情報
- XXXX アウォード → XXXX アワード
どれくらい使用されているかインターネットで検索してみると
それぞれの用語がどれくらい使用されているか、それぞれの用語をインターネットで検索してみました。
ユニバーサルデザイン:9,560,000
ユニヴァーサルデザイン:12,300
サービス:1,970,000,000
サーヴィス: 563,000
イベント:1,320,000,000
イヴェント:515,000
アワード:39,800,000
アウォード:310,000
多少の数の差ということであればまだしも、その表記の差は圧倒的です。「ユニバーサルデザイン」を心がけているのであれば、「ユニバーサルデザイン」と表記したらどうでしょうか。日本語表現として定着しているカタカナ語は、勝手に書き換えないほうがいいと思います。また、一般的な表記があるのであれば、それに従うべきです。なぜ、勝手に書き換えたり、一般的でない表記を使うのでしょうか。
「ヴァ」使用の歴史的な経緯
この「ヴァ」「ヴィ」「ヴェ」という異表記は、戦後、廃止されていました。この異表記が「許容」されるようになったのは、「第18回国語審議会」(1989年〜1992年)からです。「国語審議会」というのは文化庁の諮問機関です(現在は、改組されて「文化審議会国語分科会」となっています)。この諮問機関は、将来の日本語をどのようにしていくのかということを含め、日本語の表記についての取りまとめを行なっています。委員には各界から著名人、いわゆる知識人(?)が選ばれています。各界とはマスメディアや教育機関、コンピューター業界、日本文芸家協会(小説家や歌人の団体)などです。
この審議会の中で「『バ』と『ヴァ』を使い分けるのが日本人のセンス」だと発言した文芸家協会の先生がいました。日本人はこのように自己を特殊化するのが得意なようです。ところが、少し考えてみればわかるように、この発言はあまりに情緒的であり、なんの論理的根拠もありません。「バ」と[ヴァ」など微妙なところを使い分けられるということは、言い換えればその国の言語に母音や子音の数が豊富であり、その国民が等しくそれらを活用できているということでもあります。ところが、ほかの言語と比較してみると一目瞭然ですが、日本語は母音や子音の数が少ない言語に分類されます。たとえば、日本語には5つの母音しかありませんが、英語では二重母音も含めると母音が20以上あります。手もとの英和辞典を見てください。子音の数にも大きな差があります。事実として、日本語には元々「バ」と「ヴァ」の音韻的な違いはありませんでしたし、また現代でも、ほとんどの人が「バ」と「ヴァ」を使い分けできているとは思えません。外来語の音韻を日本語で表記するために「ヴァ」という表記を許容したといいます。しかし、ベートーベンと発音している日本人がほとんどなのに、つまり、英語などの外来語の「V」の音を表現できていないのに、なぜベートーヴェンとわざわざ書く必要があるのでしょうか。いやいやこれは発音には関係ない表記上のセンスの問題なのだと言い訳されるかもしれませんが、そんな曖昧な理屈は通用しません。狭い自分自身の守備範囲だけを見て全体での必要性を説くその姿勢には醜悪ささえ感じます。
残念なことに、この「第18回国語審議会」で「ヴァ、ヴィ、ヴ、ヴェ、ヴォ」表記は復活をはたしました。「ヴァ、ヴィ、ヴ、ヴェ、ヴォ」表記は明治以来使われていたわけですが、太平洋戦争以降(正しくは昭和29年以降)国語改革により一貫して表舞台には出てきませんでした。したがって、マスメディアや、公文書、学校教育などのドキュメントでは「バ、ビ、ブ、ベ、ボ」で統一されてきたわけです。この時の議事録をまとめた「第18回国語審議会報告書」を読んでみると、「ヴァ、ヴィ、ヴ、ヴェ、ヴォ」表記が復活することになった経緯がわかります。それぞれの立場からの意見があって、特に文芸家協会からの意見が妙にせつなくて、その点読み物としても結構おもしろくなっています。全体を概観すると、まずマスメディアVS文芸家協会という確執が見えてきます。基本的にマスメディアは「バ、ビ、ブ、ベ、ボ」統一派であり、文芸家協会は「ヴァ、ヴィ、ヴ、ヴェ、ヴォ」導入派でした。そして、文化庁がその間に立って神経質なまでの気づかいを見せています。その議事録に「『バ』と『ヴァ』を使い分けるのが日本人のセンス」だという文芸家の発言があったわけです。
「ヴ」の表記例
上記のような経緯のもとで、「ヴ」を含めた表記がいろいろと見られるようになりました。以下に、例示します。
一般表記 | 異表記 |
アドバイス | アドヴァイス |
アドベンチャー | アドヴェンチャー |
アベニュー | アヴェニュー |
インタビュー | インターヴュー |
オーバー | オーヴァー |
グラビア | グラヴィア |
コンバート | コンヴァート |
サーバー | サーヴァー |
ディスカバー | ディスカヴァー |
ドライブ | ドライヴ |
ナビゲーション | ナヴィゲーション |
ネイティブ | ネイティヴ |
バイオリン | ヴァイオリン |
バイタリティー | ヴァイタリティ |
バージョン | ヴァージョン |
バラエティ | ヴァラエティ |
バリエーション | ヴァリエーション |
バリュー | ヴァリュー |
バルブ | ヴァルブ |
ビザ | ヴィザ |
ビジョン | ヴィジョン |
ビビッド | ヴィヴィッド |
ビーナス | ヴィーナス |
ビュー | ヴィュー |
プライバシー | プライヴァシー |
ベテラン | ヴェテラン |
ベール | ヴェール |
ボキャブラリー | ヴォキャブラリー |
ボランティア | ヴォランティア |
ボルト | ヴォルト |
ライブ | ライヴ |
ランデブー | ランデヴー |
デジャブ/デジャビュ(*) | デジャヴ/デジャヴュ |
*これは和製英語ではなく、和製洋語(英語以外の言語から流入したもの。この用語自体はフランス語)です。「デジャブ」と「デジャビュ」は両方ともよく使われています。フランス語読みであれば、「デジャビュ」ですが、英語読みの「デジャブ」のほうがより一般的なようです。
MTで翻訳してみる
この「バ」と「ヴァ」と異表記が存在するわけですが、この程度の差異ぐらいなら、MTはだいたい理解してくれるようです。
[例文1]
この時点で、ヴィザの発給を依頼しても日程的に無理が生じます。
At this point, even if you request visa issuance, it will be impossible due to the schedule.
しかし、異表記自体がまちがっている場合は、MTは誤訳してしまうことになります。
[例文2]
このとき、ヴォルトを強く締めすぎないようにします。
[誤] Do not overtighten the vault at this time.
[正] Do not overtighten the bolt at this time.
「ヴ」以外の表記例
以下に、「ヴ」以外の、よく見かけるその他の表記のユレを例示します。
一般表記 | 異表記 |
アイデア | アイディア |
アンチ | アンティ |
エチケット | エティケット |
オートマチック | オートマティック |
カルテット | クァルテット |
テキスト | テクスト |
ヒューズ | フューズ |
プラスチック | プラスティック |
ユーモア | ヒューモア |
ラジアル | ラディアル |
都市名などでも表記がユレているものもあります。
地名 | 備考 | |
フローレンス | フィレンツェ | 英語表記Florenceとイタリア語表記Firenze |
ベニス | ヴェネツィア | 英語表記Veniceとイタリア語表記Venezia |
ウォルソー | ワルシャワ | 英語表記Warsawとポーランド語表記Warszawa |
モスコー | モスクワ | 英語表記Moscowとロシア語表記Москва |
ブリュッセル | ブラッセル | |
ロサンゼルス | ロスアンジェルス |
地名には、JapanとNipponのように、英語表記と現地語表記が混在することがよくあります。英語表記と現地語表記を混在させないように注意することが必要です。
最後に
最後に、原音に忠実に書くべきだという方々に質問です。
キャラヴァンとかスーパーヴァイザーと書かれますか?また、leaderとreaderはどのように書き分けていらっしゃいますか?
新着記事のご案内
これまでに掲載した記事からピックアップ
-
AI翻訳活用
“first floor”って何階なの?! – アメリカ英語とイギリス英語の使い分け
-
AI翻訳活用
OfficeツールとAI機械翻訳
-
AI翻訳活用
情報を「つたえる」視点で考えたらカタカナ語はこう書く
-
AI翻訳活用
日本発のライティング規格に関する国際会議レポート
-
AI翻訳活用
到着したのはBruxelles、それとも Brussels? – 国際会議レポート2
-
AI翻訳活用
MT翻訳品質の向上により英語学習は不要になるか? – とんでもない誤解
-
AI翻訳活用
MT翻訳の実検証から見えた日本語原文の問題点
-
AI翻訳活用
長文も難なくMT翻訳できるが… 日本語原文の問題点2
-
AI翻訳活用
メンタルロック(わたしたちの思考を制約するもの)
企画運営:株式会社 情報システムエンジニアリング 協力: 株式会社 エレクトロスイスジャパン