海外に出て見えてきたこと ― 世界標準と日本標準(2)

通算 第48号

 「世界標準と日本標準」の今回は、ヨーロッパ出張中、旅程の中で確認した日常生活の中での、「世界標準」と「日本標準」の違いを、具体的な例を挙げて見ていきます。

 2024年9月、1年ぶりにヨーロッパに出張しました。目的は、Boeingのロンドン支社で開催される第89回ASD-STE100(Simplified English)のSTEMG(STE Maintenance Group)の会議に出席するためです。その会議では、2025年早々にリリース予定のASD-STE100 Issue 9の内容を討議しました。(前回の内容はこちらへ)

目次

自信を持って進めるべき「日本標準」

 海外に出て、見えてきたことがあります。以前は、なんとなく感じていたことですが、今回はそれが確信に変わりました。それは、日本標準は世界標準と大きくかけ離れていますが、日本標準のほうが進化系だということです。私たちは、自信をもって日本標準を進めていくべきです。

 日本と欧米の基本的なコンセプトの違いは大きいですよね。というか、ご承知のとおり、日本は、ものづくりの世界標準から大きく外れています。携帯電話などに見られた、商品開発が日本独自の道をたどる、いわゆる「ガラパゴス化」です。これは、マイナスと評価されることが多いようですが、私は、日本の良さだと思っています。その好例が、シャワートイレです。シャワートイレは、元々医療機器としてアメリカで開発されたものですが、これに手を加えて、日本の設備メーカーが一般商品として売り出しました。日本のものづくりの特長として、既存のものに改良を加えるということが挙げられます。それには、使う人に対するちょっとした「配慮」というか「やさしさ」が込められています。それに対して、世界標準は、「(壊れない)頑丈さ」を追求します。「やさしさ」も「頑丈さ」もどちらも必要なのですが、公約数を求める世界標準では、ほとんど後者しか認められていないのが現状です。

 たとえば、「頑丈さ」が求められる顕著な例としては、すごい勢いで閉まる地下鉄のドア、なかなか開けにくいペットボトルのふた、そして、早朝のパリのカフェで、いらついた店員に蹴り飛ばされる掃除機などです。ドアにしても、ふたにしても、家電製品にしても、壊れない「頑丈さ」が求められています。

以下に、今回の出張で経験したことをお話しします。

便座を外してトイレを使うってどういうこと?

 冒頭で少しシャワートイレの話をしましたので、ここでトイレつながりのお話をさせていただきます。
 パリで、オペラ座を見学しました。実は、個人旅行で、20年近く前にオペラ座の真ん前のルグランというホテルに4日間宿泊したことがありました。そのとき、オペラ座はすぐそばにあるので、最終日に見学しようと後回しにしました。そして、その最終日、オペラ座に行ってみたら、なんと臨時休館していたのです。その後も何度かパリを訪れましたが、見学する機会に恵まれませんでした。

オペラ座(画像クリックで拡大表示します)

 今回、やっと念願がかなったのですが、そこで、妻からびっくりするようなことを耳にしました。オペラ座のトイレに便座が無かったのだそうです。便座が外してあるというのは、イタリアのレストランなどではよくあることです。みんな、どうやって用を足すのかというと、その用を足す行為をエアトイレだと言う日本人もいるのですが、これはジョークというか、和製英語です。インターネットをのぞいてみると、「スクワット」という言葉が使われていたりしました。
 冗談ではなく、これはたいへんな作業です。イタリアの場合、南部のローマのレストランなどでは便座が無いところが多いですし、北部のミラノあたりでも無いところがあります。便座が壊れても交換できるパーツが無かったりして、そのほうが衛生的だからということで、それなら便座を外してしまおうとなったようです。これが、オペラ座でもたまたま破損したかなにかで1か所だけなのか、それとも…、とにかく無かったのです。
 ヨーロッパ旅行を計画されている女性の方々、腹筋を鍛えてから行かれたほうが良いかもしれません。しかしながら、この国で、先週までパラリンピックが開かれていたとは、どうも信じられません。身体に障害を持つ人は、どうしたらいいのでしょうか。また、そのうち、これが世界中で標準となったらえらいことです。

フランス国鉄の頑丈なトイレ – 個室に入るためのお作法とは

 トイレについては、私自身も、おもしろい経験をしました。パリから南西に70 kmのところにあるナポレオンの居城だったフォンテーヌブローに行って、帰りの、パリに戻るためのフォンテーヌブロー アボン駅でのことです。列車の到着までまだ時間があるので、トイレに行っておこうと思いました。行ってみると、トイレは男女兼用で1か所しかありません。トイレに入ろうとすると、横のベンチに座っていた女性から、私のほうが先よと言われたので、私はその彼女に譲りました。
 その女性が出てきたので入ろうとすると、ドアの開け方がわかりません。よく見ると、ドアを開けるためには、スイカのような乗車カードか乗車券が必要なようです(下の写真の“NAVI”[カード用]と書いてあるところと、その下[乗車券用]です)。そこで、持っていた乗車券を入れてみたのですが、それでもドアは開きません。すると、先に用を足した女性が、今はランプが黄色に点灯しているので開かないのだと教えてくれました。
 たしかに、よく見ると、黄色のランプは“Engaged”となっています。彼女の話によると、約5分間は、クリーンアップのために開かないのだそうです。ともかく、黄色のランプの上にあるグリーンのランプがつくまで待つようにと言われました。グリーンはOKのマーク、これは万国共通です(一番下の赤いランプは故障中を示しています)。しかし、5分ぐらい経過しても、OKのサインのグリーンのランプはつきません。そうこうするうちに、おばあさんが私の後につきましたので、私はおばあさんに譲ることにしました。
 それにしても、このトイレのドアの頑丈そうなこと、スチール製で、開けようとしてもびくともしません。何のためにここまで頑丈にする必要があるのでしょうか。乱暴に扱う人たちがいて、壊されるのを防ぐためということなのでしょうか。

フランス国鉄(SNCF)の頑丈なトイレ

誰のためのサービス?(1) – 高くない?男子用トイレのあれ

 下世話な話で恐縮ですが、トイレの話のついでに、もう一点付け加えておきます。いつもながら、海外の(男子の)小用の便器の位置の高さには驚かされます。中には高さが80 cm近くもあるものもあって、これ以上高いと困るなと思ったりもします。欧米人であっても、私より背が低い人も多いのに、なぜ、ここまでの高さにするのでしょうか。
 平均身長が180 cm以上という国々では、背の高い人に合わせて小便器の位置を高くするのでしょうが、背の低い人たちにも配慮すべきではないでしょうか。極端な言い方をすると、背の低い人たちを切り捨てて、知らぬふりをしているわけです。うがった見方をすると、この小便器の位置に届かない者は、女性や子どもと同じものを使いなさいとでも言いたげなのかと思ってしまいます。髭を生やしていない者は大人として見られないということと同じようなレベルです。

誰のためのサービス?(2) – 高くない?ホテルでのあれやこれ

 高さの問題に関連したお話ですが、ずっと以前宿泊したヨーロッパのホテルの、シャワーブースのシャワーの高さが、最も高く設定されていたことがありました。その高さでは、おそらく、1/3以上のお客さんがシャワーの高さを変えられないという問題に遭遇するのではないでしょうか。そのたびに、お客さんはフロントに電話して、housekeeperにシャワーの高さを変えてもらうことになります(その高さのまま使えばいいと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、シャワーヘッドは、シャワーがいきなり飛び散らないように、反対に向けられているのが普通です)。
 これは無駄な手間です。その無駄な手間を省く意味でも、もっと多くの人たちをサービスの対象にするためにも、シャワーヘッドの高さは、考慮されてしかるべきです。

 さらに、今回は、この高さの問題の究極とも言える問題点に遭遇しました。それは、ロンドンのホテルにありました。
 このホテルは、ASDの会議が開かれたBoeing社の方から推薦していただいたものです、なにしろ、地下鉄のセント ジェームズパーク駅まで徒歩で1分以内、Boeing社まで約2分、ウェストミンスター寺院まで約4分という好立地に恵まれていました。しかも、ホテルのスタッフは今回泊まった5つのホテルのなかで最も感じが良かったのです。
 しかし、そのホテルに、高さの問題の究極となる問題点がありました。それは、ロッカーの高さでした。細長いロッカーに、ハンガー掛けが2段付いているものです。これなら、どこにでもあるものと同じだと思われるかもしれませんが、私(約177 cm)が手を伸ばしても、上の段のハンガーの下のところにやっと触れることができる(約240 cm)というものでした。このロッカーは、天井まであって、おそらく310 cm以上というものでした。
 写真では、上の段のハンガー掛けに私のズボンがかかっていますが、これは、私が見えで、苦労してやっと掛けたものです。ましてや、私には、盗難防止のハンガーということもあって、上の段のハンガーを取るなんてことはできません。(今回泊まったホテルは、ほとんどすべてが、盗難防止のハンガーでした。よほど盗まれるのでしょうね。盗難防止のハンガーは、掛けるのが難しくて使いにくいですね。)

のっぽさん用のロッカー
盗難防止ハンガー

 このロッカーの高さは、全く無駄です。なぜなら、このホテルのスタッフは、全員、私と同じか、私より低い身長でしたので、(これを平均として考えるなら)だれ一人として、上のハンガーを有効利用できるような人は居なかったからです。このロッカーの上半分は、いったいだれのため?私は、頭を抱えて考え込んでしまいました。身長が、少なくとも、185 cm以上の背の高い人たちのためだけにこのようなものをつくったのでしょうか。

 トイレにしても、シャワーにしても、ロッカーにしても、一部の人たちだけ、強者のためのものになっています。でも、このロッカーの高さが標準なのでしょうか。こんな高さのものを見たのは初めてでしたので、これは例外なのでしょう。
 何にしても、これからは、より多くの人たちが利用できるものにすべきだと思います。いわゆる、Inclusive design (共用品設計)という人にやさしいアプローチで物事を考える必要があります。

ペットボトルのふた

 以前から、ヨーロッパで買うペットボトルのふたは、きつく閉まっていて、なかなか開けにくかったです。その開けにくさは、現在でもあまり変わりがないようです。日本のペットボトルもたまに開けにくいものがあったりします。しかし、そのほとんどは、小学生あたりでも余裕で開けられます。ここにヨーロッパと日本の差があるような気がします。どんな差があるかというと、ヨーロッパでは、安全、衛生を満たすために、きっちりと締まっていることが重視されます。頑丈さ、そしてそれによって保持される衛生、それが標準なのです。日本では、そのほとんどがしっかりと締まっていると同時に、握力の弱い子どもや高齢者でも開けられるように配慮されているような気がします。

 話題が変わりますが、今回、ヨーロッパで見かけたペットボトルはすべてふたが本体にくっついていました(ペットボトルの飲み口にふたが付いているので、正直、飲みにくいです)。話によると、EUの使い捨てプラスチック製品規制指令によって、プラスチック製の飲み物の容器はすべて、今年(2024年)の7月までに、ふたをペットボトルの容器につながなければいけなくなったそうです。
 これは、そのうち日本もそうなっていくのかもしれませんが、日本の場合は、キャップも回収されていたり、プラスチックごみとして分別されていたりしていますので、そこまでの必要はないかと思います。しかし、日本の飲料メーカーがヨーロッパにペットボトルを輸出するようでしたら、(おそらく)CEの認証を取るためにふたを変更する必要があります。

ペットボトル本体にくっついているふた

ウィーン地下鉄のドアが大きな力でバタンと閉まる

 一般的に、ヨーロッパのドアは頑丈にできています。特に、地下鉄の電車のドアは、挟まってしまったら危ないのではないかと思うくらい、大きな音を立てて閉まります。今回は、そのことに関する写真は撮らなかったので、ウィーン地下鉄(2018年)のドアの例を示します。

ウィーン地下鉄のがっしりしたドア
動画はこちら。迫力あります。(音量にご注意ください

 これはもう、頑丈さだけを目的としてつくったとしか思えません。これに比べると、日本の電車のドアは、平均的に静かですし、やさしささえ感じさせます。

我ここにあり – 自己主張をする水栓

ヨーロッパの洗面所で結構目にするのが、「自己主張をする水栓」です。「我ここにあり」という感じで自己主張するものですから、顔を洗うのがなかなか難しいのです。

Zurichのホテル(2015年撮影)
今回泊まったホテル

参考までに、「自己主張をしない水栓」の例をお見せします。

自己主張をしない水栓

 これだったら、洗いやすいでしょう。もちろん、日本にも「自己主張をする水栓」はあったりするのですが、それほどではありません。これはデザイン上の問題なのでしょうが、「自己主張をする水栓」のほうは「水栓」を強調しすぎていますので、結果、顔が洗いにくくなります。それに対して、「自己主張をしない水栓」は、洗顔することを目的としていますので、水栓は控えめであり、顔をゆったりと洗えます。
 この「自己主張をする水栓」の問題は、これまでに述べてきたことと関係があるのかもしれません。いずれにしても、ものづくりには、使う人への配慮、「やさしさ」が必要です。

うわっ、石鹸で滑る! – 使おうと思ったそのとき

 この水栓の問題で、旅行中に困ったことがありました。石鹸でからだを洗って、さあ流そうと思っても、石鹸でハンドルが滑ってしまって、回せません!さあ、どうしましょう。今回のケースは、シャワー室のものでしたが、写真のように、洗面所の水栓も同様の問題があります。

ハード面にとどまらず、ソフト面にも

 これまでお話ししたように、世界標準では頑丈さや制限が感じられます。それに対して、日本標準では、頑丈さだけではなく、使用者を広げる開放、やさしさが感じられます。

 この世界標準と日本標準の違いは、単にハード面にとどまらず、ソフト面にも表れるようです。今回、ヨーロッパに行って気づいたことですが、電車の運転が、パリの地下鉄にしてもロンドンの地下鉄にしても、日本と比べると、非常に荒っぽく感じました。電車は急加速し走り出しますので、発車するときは、何かにつかまっておかないと危なく感じました。身体に障害を持つ人たちは、介助無しでは乗れないのではないでしょうか。それに対して、日本の電車の場合は、静かに、ゆっくりと加速していきます。この差は大きいです。
 考えてみますに、電車の運転を訓練するときに、欧米では、単に定刻で運行することに力点が置かれているようです。それに対して日本では、定刻で運行することだけではなく、ゆっくり発進、やさしく停車という弱者に対する配慮も運転技術の重要な項目として挙げられているようです。このソフト面の技術は、いつの間にか、日本では一般的というか、当然のこととして考えられています。

 世界標準と日本標準の違いは、ソフト面にこそ如実に表れるもののような気がします。その代表的なものは、ホテルやお店での接客です。接客するほうは、顧客に対して、丁寧な言葉づかいで接しますし、時には顧客を喜ばせることを惜しみません。それに対して、世界標準では、接客するほうは顧客と同等、またはそれ以上です。
 私の知り合いの中国人女性は、中国での購買体験を非常に不快なものとして、またそれとは逆に日本で物を買ったときの喜びを朗々と語ってくれました。私自身、ヨーロッパですばらしい接客体験をしたことは数えるほどしかありません。もちろん、愉快な店員さんは数多くいましたが、それ以外は慇懃無礼な態度での接客でした。
 以前、ミラノで万引きと間違えられて、荷物をカウンター上にぶちまけられたことがありましたし、今回は、フランス国鉄(SNCF)の窓口駅員から釣銭詐欺をされそうになりました(信じられないかもしれませんが、ほんとうです)。
このように、その差は単にハード面だけではなく、ソフト面にまで大きく広がって行っています。

日本に戻って実感したこと

 やはり、日本はいいですよねえ。関空に着いてから実感したことがあります。
 関空から神戸空港までのベイシャトル(フェリー)に乗り遅れたので、南海電車の駅に回ったら、ちょうどラピート(特急)が発車するところでした。そこで、駅員さんにお願いして、(ほんのわずかな時間でしたが)切符を買うまで待ってもらいました。海外であれば、その駅員さんの知り合い以外、そんなことは通用しません。時間が来たので、発車しますってなことになるでしょう。
 おそらく、これが日本の「やさしさ」システムの一つですよね。南海さん、頑張ってください。

まとめ

 日本標準は、世界標準に飲み込まれていくのでしょうか?それとも、世界標準が、そのうち、日本標準に近づいてくるのでしょうか?もちろん、そうならなければ、日本の産業は衰退していきます。これから10年ほどの間に、日本標準が世界標準の中でどのような役割をはたしていくのか、見守っていきたいと思います。十数年後が楽しみ(?)です。

<終わり- 海外に出て見えてきたこと ― 世界標準と日本標準(2)>

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